「過去最大の感動セッション。自分にできることは何でもやりたい」 木村 克彦 感動プランニング代表


みなさん、こんにちは、木村です。感動セッション。今日はナザレンコさん、今村さん、阿部さんと一緒に「世界平和というものを考える」どうぞよろしくお願いいたします。
感動セッションは、私たちが心を震わせながら世界を生きていく瞬間のアップデートです。世界は、自分と自身を取り巻き移ろっていく森羅万象。なぜ何のためなのだろうと思い始めた途端、無限に開ける広がりと深み。多様な世界を見渡し、人に触れ、多視点で考え、実感しながら、前進していきたい。よりよい人と未来のためにどこまでできるか、踏み台を重ねていこうというものです。
6年前に、長く勤めていたソニーという会社の中で、社員の提案型アクションとして始めました。技術からエンタテインメントまで、会社がつくっているものの意味を掘り下げ、さらにどういうことをやっていったら、より社会のためになるのか考えるための一つの手段としてです。様々なテーマについて、トップから新入社員までが遠慮なく語り合うこと200回、参加者は20万人という大きな反響がありました。これを広く役立てたく、独立してパブリックで始めたところです。
先月は、大学の同級生の異なる歩みの振り返りと40年前の鮮明な記憶、会社を飛び出して新しい事業へのチャレンジを満喫する人たち、今アゲンストの風が吹くダイバーシティを推進する人自身のダイバーシティ、いずれも、どんなテーマでも取り上げ、必ず直接関わって手と頭を動かしている人、そういう方を複数組み合わせて、新しい気づきや刺激を得る、そこから次のテーマが生まれ、展開する中で前進のモチベーションを高めています。
今日は「世界平和というものを考える」この6年で最大のテーマです。みなさんもこの大きなテーマにチャレンジしてみたい状況ではないでしょうか。戦争のことを考えない日はない毎日の中でご登壇をご快諾くださった、ウクライナ出身のナザレンコさん、早稲田大学生で遺骨収集ボランティアリーダーの今村さん、長く海上自衛官として務められた阿部さん、戦場、市民、防衛、3人の異なる視点でこの深いテーマにどれだけ迫れるか、やってみたいと思います。
最初に一言、ナザレンコさんは、ガザの方は停戦のニュースが流れる中で、母国は大変な状況が続いていますが、今どんなことをおっしゃいますか。
ナザレンコさん: 世界は毎年、毎年不安定になっていて、あらゆる面で安心できることはなく、緊張感が漂っていると思います。今日は、ウクライナ出身者として、ウクライナの現状と、そこから日本のみなさんが学べること、注意した方がいいと思うことをお話しできればと思います。
母国のことだけでも気が気でない毎日の中で、日本の目線でおっしゃってくださることはとてもありがたいことです。今村さんは、今週も沖縄で遺骨収集の作業をしてこられたのですね。
今村さん: 今回は、沖縄県の糸満市に行ってきました。手付かずのジャングルの中を伐採して、切り開き、小さな遺骨を発見しました。小さな子どもか女性のものが黒く焦げた状態で、戦後80年経っても大変な惨状の跡が残る現状を実感しました。
戦争というものを一度でも起こしてしまった後のダメージは大変なものであり、とすると今起きている戦争も後の世代に負の遺産を与え続けてしまうと、つらいですが考えねばならないですね。阿部さんは、元自衛官として、防衛の最前線に立つ役割を果たして来られました。オープンな場でお話いただくのは難しいお立場であるにも関わらず、今回ご登壇をお受けくださっています。
阿部さん: 戦争や防衛という話題に、我々日本人はあまり接する機会がなく、そういう教育や討論する場も少ない国民だと思っています。私は35年間、安全保障に関して考えてきましたし、ナザレンコさんや今村さんもそうだと思います。今日のセッションを通じて、みなさんが安全保障の現実について考えていただける機会になればいいなと思って、木村さんの誘いに乗ることにしました。日本人にとってはあまり身近ではない戦争や紛争についてよく考える機会は、これから平和を維持していく上でも大切なものと思います。
今日は、お三方からそれぞれお話をお伺いしながら、質問もぶつけさせていただき、お互いにお話もしていただきながらやってみたいと思います。みなさんもコメントあればチャットでお寄せください。
「人間の脆さを抑えるしくみをどうあってもつくっていかねばならない」 ナザレンコ・アンドリーさん ウクライナ出身


日本のみなさんへの感謝とメッセージ
日本のウクライナ支援は、2014年ロシアクリミア侵攻時から始まり、当時アメリカに次いで支金額第2位。8000キロ離れた遠国への積極的支援に心から感謝しています。避難民受け入れも2400人に達し、引き続き応援をお願いしたいと思います。今日は、ウクライナの経験から、「世界平和」における日本についてもお話します。
報道されにくい戦争の実態と情報の偏り
「世界平和」のために、戦争を詳しく知らねばなりませんが、派手な戦闘情報を取り上げ易いマスメディアからは、今硬直状態にあるウクライナの情報は伝わり難い。実際の被害は各地で毎日のように起きている事実に注意が必要です。
ウクライナの実状と市民生活への深刻な影響
ロシア国境に近い私の出身地ハルキウでも、毎日の空襲警報が当たり前、母校も破壊されたが、再破壊を懸念して立て直しを諦め、存在しません。地下鉄の地下教室を使用。市街の無差別爆撃で直接傷害がなくても、窓ガラスが割れ、発電所破壊による停電で、子ども、お年寄り問わず、マイナス20度の極寒で凍死しています。医療を受けられず亡くなる例も。どれもがメディアには取り上げられず、戦争の本当の被害規模はその数倍に及ぶ実態です。
戦争犯罪としての子ども拉致と人道危機
さらに、プーチンが国際裁判所によって正式に戦争犯罪者とされている理由は、子どもの拉致です。ロシアが占領した地域から数十万人の子どもをロシアに拉致し、ロシアの家庭に入れ、専門教育を行い、ロシア人として育てる。さらに食糧危機など、例をあげるときりがありません。
悲劇の現実と日本への警鐘
私が一番言いたいことは、ウクライナがかわいそうとか、もっと支援をお願いしたいということではなく、こういう非人道的な悲劇が今この瞬間に起きているということです。日本では、戦争は昔の話で、長く平和が続き、豊かな21世紀にそんな野蛮はあり得ないという声もありませすが事実は違います。イスラエルとパレスチナ、インドとパキスタン、様々な地域で今なお起きている戦争の戦火がいつ日本に飛んでくるか分かりません。最悪の事態に備えることが必要と思います。
プロパガンダによる正当化と情報操作の危険性
これまで、形だけでも国際法を守っていた国々は、今、堂々と侵略をしている。プーチンは、ウクライナに対する戦争を始めたのは、ウクライナがNATOに加盟しようとしたから、ウクライナに米軍基地がおかれたら危険だから先制攻撃は仕方なかったと言い訳を正当化し、プロパガンダしています。
日本の安全保障と避難体制の脆弱
日米同盟やQUAD強化の状況下、同じことは、日本においてよっぽど当てはまります。クリミア併合の際、半島は本来ウクライナ領ではなく、長年ウクライナ人に受けた差別から開放するために始めたとプーチンは言います。日本における沖縄の歴史について、全く同じことを言う人も世界にはいることは信じがたいが、それがプロパガンダです。自分に直接関係や興味のない外国について、何を信じるかというと最もよく聞く話です。それが嘘であっても何百回も繰り返されると、もしかしたら本当ではないかと思ってしまうことがあります。
犠牲を無駄にしないための意志と行動
日本の安全保障は危険な状況にあります。クリミア併合前まで領土問題を抱えたことがなく、今回の戦争まで上空を外国のミサイルが通過したことのないウクライナと比べ、日本では、北方領土、竹島、尖閣列島と多くの隣国との領土問題や拉致問題を抱え、北朝鮮によるミサイル実験は繰り返されています。ウクライナでの避難シェルターは国民の47%を収容するが、日本ではほとんど見かけません。
言いたいことは、多くの犠牲を払ったウクライナは、それを元通りにすることはできません。亡くなった人は帰ってきませんが、その犠牲を無駄にしないことはできるということです。
国際法の限界と抑止力の必要性
これまでは、国連や国際法を揺るぎないものと信じた方が多かったと思いますが、その時代は過ぎました。どんな国際法があっても、それを守らせる力がなければ意味がないことが今回証明されたのです。法律があるから戦争が起きない、今まで平和だったからこれからも平和だろうという安易な考えに陥らず、自分の抑止力を高めることで、如何に戦争を未然に防ぐか考えなければなりません。
戦争の突然性と日常の脆さ
戦争が始まるのは一瞬。ウクライナも、2022年2月24日までみんな当たり前のように学校に通ったり、仕事の準備をしていた朝5時に突然戦争が始まりました、始まってから対処することでは手遅れです。常に最悪に備え、いつでも自分の命を守る備えをしておかねばなりません。
ウクライナ戦争の本質と世界秩序の防衛
ウクライナは遠い国に見えるかもしれません。しかし、ウクライナで起きていることは、ウクライナとロシアの戦争ではなく、世界秩序を守るための戦いです。日本の周りにもたくさんある、今の世界秩序を気に入らず、現状変更したい勢力に対して、侵略戦争を許さない態度を示すこと、ロシアの侵略を失敗で終わらすことが重要と思います。
日本の役割と国際平和への貢献のあり方
日本がその舞台にならないよう、国力を高め、自分自身の生命財産守れるようになる。国際民主主義陣営の一員として力を増すことで世界平和を守ることに寄与していく。そのためにはどうしていくべきか、国際情勢に目を向けながら、みなさんに考えていただきたいと思います。
ありがとうございます。ナザレンコさんには、まず、どうしてここまで日本のことを考えて下さるのか伺いたいと思います。
父親が柔道選手で、ウクライナの実家には、日本についての本や映画がたくさんあり、私も興味を持ち、パスポートがもらえるようになったらすぐにと19歳の時に日本に来ました。以降ずっと日本で、語学も含めて学び、仕事をしながら、避難民支援や発信活動を行っているのは、今一緒にいるお世話になってきた方々を守りたい自然の意識です。
母国の悲劇の中で、どうしてここまで冷静に、秩序立てて、アクションをとることができているのですか。
慌てても意味がありません。人間はどういう状況にも結構慣れると思います。最初に戦争が始まった日には、1日中24時間、寝ず食べず、ニュースばかり見たり、大使館にいたり、どうしようどうしようという状況でしたが、ここまで続くと感情的に動くことは敵のメリットでしかないことを悟りました。どんな大変な状況でも、冷静に考えて対処することは国内外問わず、生き残るための第一歩と思います。
疲弊の極みを強いられる中での強靭さに言葉が出ませんが、この期間、ご自身として大きく印象に残っている具体的な出来事は何でしたか。
日本に来てずっと、夢の中にも出てきた故郷、私が生まれ育ったハルキウの見慣れた姿を、連日、悪いニュースとして見ることは想像できませんでした。自分の記憶の中の平和的な街、歩き慣れた道、自分の学校、よく行った病院やお店が爆撃されている、今まで平和で、これからも平和続くとしか思っていなかった故郷が破壊されていく姿をテレビで見たことは一番の打撃でした。
そういうお話も冷静にされるナザレンコさんに驚きますが、この大変なご経験の中で、ご自身の中に何か変化はありましたか。
戦争が起きてから数週間で、初めてのウクライナ避難民の受け入れのため、現地に迎えに行ったのは私でした。以降は、専門性が高い政府の方々が行うものと思っていましたが、規模や期間が膨大になったため、私も支援を続けています。緊急の状況にあっても、目の前にある小さなことを少しずつやっていく、そのみんなの努力が合わさって、大きな結果につながることを理解できるようになりました。自分がいる場所でできることをやることから成果が始まると思います。
まさしくおっしゃる通りと思いますが、そうだと言い切れるようになるまでの過程は大変なことだと思います。
私が会った避難民の方は1500人を超えました。この間、私の母も病気になったが、みんなが誰かの母や誰かの家族であり、みんなが同じ条件に置かれ、みんなが一人の人間であり、自分のことというより、より多くの人間の役に立てるように常に考えながら行動しなければいけないということを、その仕事を通じて痛感しました。
強いですね。一方で、どうしてこういう人間がやることとは思えない理不尽なことが起きるのか、人間が人間ではない営みを行うのはなぜか、ナザレンコさんはどう言いますか。
私も含め民主主義国家の人間は、子どもの頃から平和教育を受け、民主主義の社会に生きているので、平和を望むのは当たり前と思いがちですが、多くの国々ではそうではなく、弱肉強食が当たり前。自分が被害を被らなければ、他人のものを奪ったらラッキー、独裁国家の中では特にそうです。あらゆる宗教や社会における、人を殺してはいけない、他人のものを盗んではいけないという教えがある中で、それを本気で信じるかどうかは別の問題。だからロシアはできるからやったと私は思います。
ウクライナ以前にも、2008年のジョージア、2014年のクリミアと戦争を続けても罰を受けることなく、領土が増やしていくことができた一方。だったらもう1回やろうという利己的な考え方の下で、独裁国家の政治家は動いている。それは、理性や良心に訴えても難しい実態の中、抑止力、戦争や侵略を許さない仕組み、秩序が必要です。
人間の本性として、ゆったりしていてはいけない部分があるということですね。
日本は平和的な社会だが、その中でも反社会的勢力や犯罪者がどうしても出てくることと同じ。話し合いだけに頼らず、万が一の場合にどう対処するかを考えなければならないと思います。
ありがとうございました。
「過去のつらい遺産も若い世代が実感して受け継ぎつなげていく」
今村 奎太さん JYMA日本青年遺骨収集団 学生代表


遺骨収集が問いかける世界平和の記憶
NPO法人JYMA日本青年遺骨収集団は、戦没者のご遺骨を日本祖国へ迎え、遺族にお返しする活動を続けています。「戦没者の尊厳と遺族の思いをつなぐ記憶継承の原点」、今のウクライナの惨状を聞くと、まさに80年前の記憶継承がないと世界平和は維持できないことを痛感します。
活動参加の原点
私の曾祖父の弟は、インパール作戦に参加し、現地で戦死したが遺骨が戻っていないまま。小学生の頃にその話を、疑問を抱いていました。大学生になって収集団の先輩と出会い、活動に参画、これまでインド、沖縄、サイパン島などでの収集活動後、昨年から学生代表を務めています。
遺族の願いに応える現地での収集作業
遺骨収集は、旧戦地や避難壕などに入り、土を掘り、岩をかき分けながら行います。風雨や土砂の堆積により作業は困難を極めるが、戦場で朽ちて骨だけになった遺骨を「せめて祖国へ」という遺族の強い願いが原動力です。我々もそれぞれに思いを持って参画していて、私は大学で教育外交と国際関係をテーマに研究しています。戦没者遺骨収集活動が安全保障政策にもたらす意義や、国際協力の新たな一助となる可能性についても考察しています。
国家事業としての遺骨収集と民間の連携
第二次大戦で海外において戦没した240万人のうち、112万人の遺骨が未収集のままです。この収集を国家事業として進める一方、戦争が終わり、平和が訪れてもまだ残る責務を果たすにあたっては、かつて戦火を交え犠牲を強いた国々との連携も不可欠。我々民間団体もその一翼を担っています。昭和27年に収集が始まり、昭和47年の横井庄一さん帰国時には大きな注目を集めました。
JYMAの設立と活動の広がり
JYMAは昭和42年に学生慰霊団として設立され、現在約60名の体制です。これまでの派遣回数500回、のべ参加者数3000名。遺骨は完全な形で見つかる場合もあれば、一部のみの場合もあります。DNA鑑定による血縁確認が望まれ、たとえひとかけらであってもご遺族に戻せるよう尽力しています。記憶継承のため、広報活動や行政への働きかけにも注力。ご遺族からの支援に加えて、Z世代を含む現役世代からのクラウドファンディング支援も増加しています。
遺骨が問いかける「今何を語らん」
年次報告書のタイトルは「今何を語らん」。亡くなったご遺骨は言葉を発しないが、その存在は何よりも重く、今、この平和な日本に生きる我々が「何をすべきか」を問いかけています。平和を守るためにどう生きるべきか、常に考えさせられる。畏敬の念とともに、身が引き締まる思いを抱きます。
来週、高校で遺骨収集の話す機会を得た。関心のある方には、実際の収集作業を通して、平和というものを実感していただくほか、私たちの思いを伝えていきたいと考えています。
学生による戦没者遺骨収集活動と国際協力の実践
サイパン、ソロモン諸島、キリバス、インドなど、インド太平洋地域で戦没者の遺骨収集活動を展開しています。これらの地域はかつての戦場であると同時に、現在の国際情勢においても地政学的に重要な位置を占めている。これらを、我々学生世代がボランティアとして、現地の人々との協力を通じて実現していることで、社会に出た後に国際的な理解と平和構築に貢献していきたいです。
この活動は、安倍元総理が提唱した「自由で開かれたインド太平洋構想」とも連動し、日本が海洋国家として果たすべき役割を体現しています。
過去への責任と未来への世界平和
遺骨収集は、戦争に対する責任を果たす行為です。日本人兵士だけでなく、アメリカ兵や現地住民の遺骨も発見されることがあり、国境を越えた人間の絆を再認識する機会となる。戦争の悲惨さを直視し、未来の平和構築へとつなげる外交的意義を持つものです。
一方、遺骨収集活動は、慰霊にとどまらず、人道支援とも密接に関わっています。パラオでは、遺骨収集と同時に地雷や不発弾の処理も必要とされますが、トランプ政権以降、アメリカの支援が停止し、現地では対応が困難な状況にあります。こうした複合課題に対して、日本が主体的に支援し、現地と連携して取り組む必要があります。
活動の継続には若い世代の参加が不可欠。教育機関や財団と連携し、講演会や体験共有を通じて平和の重要性を訴えています。遺骨収集活動は過去への責任を果たすと同時に、未来の平和を築くための国際協力の実践の場でもあります。若い世代がその担い手となることで、日本の外交的プレゼンスや人道支援の在り方にも新たな可能性が生まれてくると考えています。
大変な心持を持ち、時間と労力をかけて、多くの方々と取り組む様子がよく分かりました。今村さんの参画のきっかけは、子どもの頃に聞いた未帰還のご親族の遺骨のということでしたが、それにしてもここまで続けている理由を教えてください。
これまで私が接した遺骨の数は百柱。現地で初めて遺骨に触れた際、「人間はここまで小さくなるのか」と衝撃を受けました。葬儀場で触れた遺骨とは全く違う、戦争の現実を肌で感じた体験は、知識では得られない深い学びとなり、平和の尊さを実感する原点となったと思います。
「若い世代」と一言で言っても千差万別と思います。今村さんの目だで見た時の世代の心持を教えてください。
平和な日本に暮らす若者にとって、戦争は遠い存在です。しかし、SNSや報道を通じて、中国やロシアの脅威を肌で感じる機会も増えている。実際に遺骨収集に加わることは敷居が高いと思いますが、戦争の記憶を風化させないためには、現地を訪れ、遺留品や遺骨に触れるなど、リアルな体験を通じて平和について考える機会を提供していくことが重要だと思います。
ありがとうございました。
「それぞれが責任を持って自国を守れる国であることが世界平和の条件」
阿部 智さん 元海上自衛官


海上自衛隊の組織構成と私の経歴
まず自己紹介を兼ねて、海上自衛隊の組織について簡単に説明します。防衛大臣の下に陸・海・空それぞれの自衛隊があり、それらを統合的に運用するのが「統合幕僚監部」です。私は海上自衛官として35年間勤務してきたので、海上自衛隊の構成に触れます。海上幕僚監部の下には「自衛艦隊」という大きな組織があり、その中に「護衛艦隊」「航空集団」「潜水艦隊」があります。護衛艦隊は護衛艦、航空集団は航空機、潜水艦隊は潜水艦の部隊で、これらが海上自衛隊の主力を担っている。私は主に航空集団の航空群に所属し、複数の部隊で航空機の整備や補給業務に従事してきました。
海上自衛隊の基地と平時の任務
日本各地には海上自衛隊の基地があり、港湾施設だけでなく航空基地も存在します。「海上自衛隊がなぜ航空機を持っているのか」とよく聞かれますが、日本周辺の海域や海上交通路(シーレーン)を守るためには、船だけでなく航空機による広域監視が不可欠。こうした平時の警戒任務こそが、海上自衛隊の最も重要な役割です。
外国艦艇の動向監視と抑止力の実践
先月、防衛省のホームページに掲載された情報によると、ロシアのミサイル巡洋艦や原子力潜水艦が宗谷海峡を通過しました。こうした外国艦艇の動向は、海上自衛隊が常時監視していて、航空自衛隊もスクランブル対応を通じて空域の警戒を行っています。これらの活動は、抑止力の一環として、外国に対して「日本は見ている」「即応できる」というメッセージを発信する重要な任務です。
中国潜水艦による領海侵犯への対応
2004年、中国の原子力潜水艦が潜航状態のまま日本の領海を侵犯するという事案が発生しました。国際法では、潜水艦が他国の領海を通過する際には浮上して航行しなければなりませんが、この潜水艦はその義務を果たしませんでした。海上自衛隊は「海上警備行動」を発令し、航空機や護衛艦を派遣して追跡・対応した。この事案は、領海の警戒監視と即応体制の重要性を示す象徴的な出来事です。
海賊対処活動と国際貢献
2013年頃、アデン湾やソマリア沖では海賊による襲撃が頻発し、日本に関係する船舶も被害を受けいました。海上自衛隊は艦艇や航空機を派遣し、通過船舶の護衛や海域の監視を実施。現在では海賊事案は激減していますが、活動は継続されていて、シーレーン防衛の一環として重要な任務となっています。私もこの海賊対処行動に関わり、現地での緊張感と国際協力の意義を実感したことがあります。
世界平和と防衛力の関係
世界平和とは、単に戦争がない状態ではなく、すべての国が自立し、独立を保ち、自分の国を守る力を持っていることによって成り立つものだと考えています。つまり、各国がそれぞれの安全保障を確立できてこそ、安定した国際秩序が築かれる。そのためには、まず「抑止力」が必要です。自国を守る力を持つことで、他国からの侵略を思い留まらせることができる。さらに、万が一抑止が破られた場合には、迅速かつ的確に対処できる能力も欠かせない。これらが揃って初めて、真の平和が維持されるのです。
ウクライナがロシアに侵攻された事例は、まさにこの現実を突きつけました。日本でも同様の事態が起こり得ると考える人が増えている。こうした背景を受けて、日本政府は3年前に「国家安全保障戦略」を策定し、中国を新たな挑戦者として位置づけ、防衛力の抜本的強化に踏み切りました。
現在、日本では防衛力強化のために7つの重点分野に予算を投じています。スタンドオフ防衛能力(遠距離からのミサイル攻撃への対応)、統合防空ミサイル防衛能力(ミサイルの迎撃と発射源への対処)、無人機の活用、領域横断作戦能力(宇宙・サイバー・電磁波領域への対応)などが含まれます。
特に宇宙領域は、今や国家防衛に不可欠な分野となっていて、航空自衛隊は来年「航空宇宙自衛隊」へと改称される予定です。また、指揮統制機能、情報関連機能、機動展開能力、国民保護、持続性・強靭性の向上も重視されている。弾薬や燃料の確保、装備の稼働率向上、司令部の地下化、衛生機能の整備(輸血・手術など)など、戦闘時に国家として必要な体制づくりが進められています。
<自国防衛の力が世界平和の礎となる>
真の世界平和は、すべての国が自国を守る力を持ち、安定した秩序を築くことで実現される。武器を持たず、誰も戦わない理想的な平和もあるかもしれないが、それは非常に脆弱で、何かが起きればすぐに崩れてしまう。だからこそ、一国一国がしっかりとした防衛力を持つことが、世界全体の平和にとって不可欠です。これまで自衛官として勤務してきた経験から、私はその必要性を強く感じています。
択して編集してください。
ありがとうございました。阿部さんの、ならず者の海賊から、もしかしたらまた遺骨収集のようなことが起こるかもしれない今の日本を取り巻く危機に至るまで、すべてに共通して「守れる力がないと話にならない」という現実があると感じました。宇宙まで視野に入れた防衛の任務には、ただただ頭が下がる思いがあり、決して「大変ですね」という言葉で片付けられるものではないと思います。今、ご定年の節目に、そもそもこの大変な仕事に就こう思った理由を教えてください。
高校生の頃、自衛隊や軍隊が悪者扱いされる話をよく聞いていました。悪いことをしようと思って戦争に参加したのか、という疑問を持ち、地元の空をブルーインパルスが飛ぶ中、知らない世界を見てみたい思いから防衛大学校に進みました。当時は高校の教師から「洗脳されてこい」と言われるような時代でしたが、直接確かめたかった。35年務めて、抑止力や武力について、何かが起きた時に対処する力がなければ安全は保てないことを実感、当時の疑問は解消しています。
長い経験を元に確信をもって話す姿勢に圧倒されます。阿部さん抑止力強化に対するモチベーションをもう少し伺わせてください。
装備品やミサイルの整備も必要だが、一番大切なのは、みんながその必要性を理解し、感じることだと思います。日本人の多くが防衛力の大切さを認識することが、最大の抑止力になる。最近少しずつそういう人は増えてきていますが、諸外国と比べればまだ少ない。日本の平和と独立、国民の安寧を維持するためには、多くの人が危機感を持ち、それに備えることの必要性を理解することが不可欠だと思っています。
現状、抑止力強化の進展は十分な状態にあるのでしょうか。
十分だと思った瞬間に弱くなる。今の世の中は一国だけでは到底備えられず、価値観を共有する国々と同盟を組むなど協力することが必要と思います。

インターラクション
今まさに戦禍にある母国を持つ方、過去の負の歴史に対してボランティアで向き合う方、そして第一線で任務を果たしてきた方という、お三方のまったく異なるアプローチで語られた話を伺いました。時代の変遷の中で、抑止力や戦争に対する考え方も大きく変わってきた。それぞれ個人としての思いも合わせて伺ったことで、より印象深く感じました。それぞれ互いの話をどう受け止めたのか伺います。
ナザレンコさん: ウクライナでは戦争初期、兵士の名前や家族の声が報道されていたが、今では「本日の死亡者数」として数だけが伝えられるようになってしまいました。一人ひとりの死は悲劇だが、一万人の死は統計と言われる。だからこそ、今村さんの遺骨収集活動が「生きた人間への敬意」を持って行われていることに強く感銘を受けました。
阿部さんの、自衛隊が国内だけでなく、アフリカなど遠く離れた場所でも貿易を守る活動をしていることも非常に重要だと感じました。目に見えないところにも危機はあり、私たちの日常生活を守るために尽力している。今後は一般市民の協力と支援がより必要になる。自衛隊の活動に感謝の気持ちを持ち、それを支えることが大事だと思っいました。
今村さん: 平和を語ることは重いテーマですが、ナザレンコさんの祖国ウクライナを奪われた経験と、阿部さんが日本を守るために立っている覚悟には共通するものがあります。平和は与えられるものではなく、自分たち自身で守り抜く意思と行動が必要だと改めて感じました。これまで戦没者の遺骨収集を通じて過去の犠牲に向き合ってきたが、二人の言葉から「平和を守るということは、戦場の外側だけでなく、今この瞬間の日常にも存在する」と気づかされました。
国を背負って生きること、広報活動や言論を通じて自由を主張することが、それぞれ異なる形での世界平和の実現につながると感じました。根底にあるのは、人間としての責任と覚悟だと思う。若い世代として、これからの活動に活かしていきたいです。
本当に頑張っていただきたいと思います。人間というものは、実際にその状況や立場になってみなければ分からない生き物だと痛感しました。また、個人の命が統計として扱われてしまう現実に対して、何が間違っているのかを常に問いながら進んでいかなければなりません。
今村さんのようにそれを乗り越えようとしてくれる若い世代がいることに、人間も捨てたものではないと感じる一方、いたちごっこのように繰り返し、ギリギリのところで踏みとどまっているのだと思います。
「これで十分」と言った瞬間に終わってしまうという阿部さんの言葉がまさにそれを示している。繰り返しやっていかなければならないということを強烈に感じさせられました。
阿部さん: まず、ナザレンコさんの「ウクライナが払った犠牲は取り返すことができない」という言葉に深く共感しました。ロシアの侵攻によって多くの人が亡くなり、さまざまなものが破壊され、取り返しのつかない犠牲を払っている現実を前に、こうした事態を二度と起こしてはならない。抑止力を持つことが不可欠であり、もしそれが破られたとしても、短期間で対処し、元に戻す力が必要。日本もそういう力を重視していかなければならないと思います。
また、今村さんの遺骨収集の話にも心を動かされました。今も海外の土の中に眠っている現実に向き合う姿勢に敬意を抱きました。海上自衛隊でも、海外訓練の際には過去の海戦の場所で慰霊を行っている。花束を海に捧げ、礼砲を撃ち、争いを抑止していく思いを確認しています。
阿部さんは、危険な状況が高まる中、最前線で身をさらす任務を遂行されてきました。一方で、誤解やネガティブな発言を受け止めてきたお心持ちを伺いたいです。
阿部さん: 防衛や戦争について、消極的でネガティブな考えを持つ人も確かにいるが、応援してくれる人も多くいる。そうした人々の存在が、任務を続ける上で一番の励みになりました。また、日米同盟のもとで米軍と訓練を行う機会もあり、実際に戦地に派遣されるアメリカ軍の人たちの国に対する気持ちに触れることで、自分自身の役割にも大きな意味を感じるようになりました。
みんなで協力し合うことが、今まさに世界のさまざまな場所で起きている現実を乗り切る手だてだと思います。協力しなければ、その後ろには恐怖があるだけ、それは当たり前のこと。だからこそ、誰かが率先していかねばならないと思います。
次にみなさんには、そういう大きな営みを実践されてきた中で、自分自身が人としてどう変わったかを伺います。
ナザレンコさん: 19歳で日本に来た時、知り合いもおらず、日本語もほとんど話せなかった。その時から、親や政府に頼るのではなく、自分の夢を追い、自立した生活を送ることを学びました。大学時代、日本の学生の多くが親に家賃や携帯代を支払ってもらっているのを見て、自立の遅れが生じることを感じた。困った時に誰かに頼るのではなく、自分で行動する力が必要だと痛感しました。国を守ることは、まず自分の生活を守ることから始まり、国の独立を守ることは自立から始まる。日本での一人暮らしの経験がそれを教えてくれました。
今は30代になり、家族や子供を守る立場になりました。国を守ることは、家族を守ることにもつながるという自覚が芽生えています。
今村さん: 活動に参加する前は、戦争を80年前の遠い出来事として捉えていました。学校で学ぶ年号のように、1945年8月15日に終わったという「点」として理解していた。
しかし、実際に現場で活動し、多くの人と話す中で、過去ではなく今に続く「線」としての戦争を実感するようになりました。名前も知られず帰れなかった人々がいて、彼らの人生は、本来なら今の私たちのように続いていたはずだった。平和が破られたことで、それが叶わなかったという現実を重く受け止めています。
平和は私たち自身の意思で守り、引き継いでいくもの。生きているということは、誰かの犠牲の上に続いている時間なのだと深く認識するようになりました。
阿部さん: 自分自身が大きく変わったという感覚はあまりありません。防衛や安全保障について多少詳しくなったかもしれませんが、本質的には変わっていない。ただ、35年間の中で一番の変化は、訓練を共にした仲間たちの存在。友達という言葉では言い表せないような、家族以上に大切な存在が周囲にいます。同期と呼ばれる仲間たちがいて、彼らとの絆が自分の人生において最も大きな変化でした。同期のことを優先するあまり、家内との喧嘩の種にもなるが、それほど大切な存在になっています。
ナザレンコさんは、日本に来る前から、何十倍、何百倍の人間に成長されました。大変な経験があったからこそ、今の姿があるのだと思います。今村さんのような若い世代のしっかりした姿には驚かされます。自分が年を取ったと感じる瞬間でもあります。阿部さんには、また真逆の素晴らしさを感じます。それぞれ全く違う背景を持ちながら、お三方のような方々が並行して存在していることが、世の中が動いている証だと思います。
では最後にまとめの質問です。ひとつめは、ご自身にとって「世界平和とはどういうものか」、一言でご自身の言葉でお願いします。
ナザレンコさん: 世界平和を保つためには、自国の独立を守ることが絶対に必要です。自由に生きられるのは自国でのみという認識を共有したい。ウクライナは歴史的に多くの国に支配されてきました。やっと独立を得た今も、それを守らざるを得ない状況にあります。
世界平和を実現するには、各国が自国の独立を守りつつ、互いの文化や習慣を尊重し合うことが必要です。国家があるからこそ自由がある。誰のおかげで今の生活があるのかを認識し、自分の自由を追求しながら、他人の自由も最大限に尊重すること。それが世界平和への第一歩だと考えます。
今村さん: 世界平和は遠くの誰かや権力者が作るものではなく、今ここにいる一人ひとりが目の前の命と向き合うことから始まる。戦没者の遺骨に触れるたびに、平和は作られた状態ではなく、私たちの意思によって守られるものだと感じます。過去の犠牲を忘れず、同じ痛みを繰り返さないと誓い続けることが、人と人、国と国の信頼をつなぎ、世界平和につながる。日々の選択や行動の中で、このことを意識して活動していきたいと思います。
阿部さん: 世界平和という言葉は美しく聞こえるが、今ウクライナで「世界平和について話そう」と言っても、そんな話をする人はいないと思います。日本もまた、世界平和どころではない状況にあるのが現実。だからこそ、そういったことをよく考えていかなければならないと今回改めて思いました。
率直な全く異なる視点からのお考えを率直にありがとうございます。ふたつめは、「世界平和をつかむために何が必要か、そしてそのためにご自身が何をされるのか」、お願いします。
ナザレンコさん: 世界平和や自国の平和において、無関心でいないことが最も重要です。他人事として受け止めていると、いざ自分が困った時に誰も助けてくれない。広い視野を持ち、すべての出来事を自分事として受け止め、解決策を探すことが大切。ウクライナのニュースだけでなく、パレスチナやイスラエル、日本の問題も含めて、世界中の情報を総合的に見なければなりません。私自身、ポジショントークにならないよう、客観的な事実をつかみ、様々な人から情報を集める努力を続けています。
今村さん : 世界平和は一人ひとりの意思の結集から生まれる。人間としての姿勢から始まるものであり、関わる人や事象に対して、相手の気持ちと尊厳を尊重することが大切と思います。遺骨収集の活動は、失われた命を国に返し、過去と現在をつなぐ橋となる。違う国籍や立場の人々との対話と理解を通じて、信頼関係を築き、世界平和の実践につなげていきたい。一つひとつの行動を積み重ねて、助力していく覚悟を持っています。
阿部さん: 自分は「世界平和」を目指すべき“目的”とは考えていません。基本的に守るべきは、自国の独立や領土の保全、そして国民の生命と財産。これが第一の目的です。そのためには、自由や民主主義、法の支配といった普遍的な価値を世界に広げ、周囲を安定させる必要がある。つまり、世界平和は目的ではなく、自分たちを守るための“手段”だと捉えています。今、ウクライナ戦争によって、そうした普遍的な価値が崩れようとしている。だからこそ、そういった動きには明確に反対していかなければならないと強く思っています。
また、こうした考えを、いろんな場所で話していきたい。自分がウクライナに行くことは簡単ではないが、そうした現実を伝える活動をしていきたい。微力ではあるが、同じ考えを持つ人が増えるような働きかけを続けていきたいと考えています。
ありがとうございます。長時間にわたり、深い話を包み隠さず語っていただき、本当に感謝しています。もちろん、今日の話がすべてではなく、本当に正解かどうかは分からない、意見の違いもあると思います。でも、そうした違いをぶつけ合いながら、先に進んでいくことが大切だと感じさせられました。
最後に、「今日のセッションを終えての感想と、参加してくださったみなさんへのメッセージ」をお願いします。
ナザレンコさん: 今日、活動の場は違っても、思いは共通していると感じました。この国の平和と独立を守るという信念を持つ方々の貴重な話を聞けて、非常に有意義な時間でした。政治や平和について、無関心でいても無関係ではいられない。政治に関係ない人は一人もいない。今日の一番大事なことは、登壇者の考えを知るだけでなく、自分自身でも考え、自分なりの結論にたどり着くこと。正解は一つではないが、常にこうしたテーマについて考え続けることが大切だと改めて思いました。
今村さん: 今日、ナザレンコさん、阿部さん、木村さんの話を聞いて、普段あまり深く考えることのない「平和」という言葉の意味について考えさせらました。平和を実現するかどうか以前に、その言葉の意味を見つめ直すことが重要だと感じました。国を守る覚悟や、祖国を失った痛みといった深い経験の根底には、結局「人と人との関係」がある。政治の話も含めて、自分ごととして捉え、判断し、考えることが大切。一人ひとりが目の前の命に誠実であろうとすることで、世界平和や自国防衛につながると信じています。今日の話を聞いてくださった方々には、学生として遺骨収集活動を通じて少しでも力になれればと思います。JYMAの活動や厚労省の情報なども見ていただき、小さな一歩を一緒に踏み出してもらえたら嬉しいです。本日は本当にありがとうございました。
阿部さん: 今日はナザレンコさんと今村さんの話を聞いて、とても有意義でした。自分が一般の前で話す機会はほとんどありませんが、今日は木村さんのおかげで貴重な経験をさせてもらった。ありがとうございました。
こちらこそ感謝しています。今日のセッションで一番ショッキングだったのは、「世界平和」セッションで「世界平和が目的ではない」という言葉でした。
でも、それが本質なのかもしれません。世界平和を達成したら終わり、というものではなく、常に人間が人間らしく、誰もが戦争のような悲劇を繰り返さず、豊かに生きていくこと。人と世界のよりよい未来をつくることが本質であり、そこに向かってそれぞれが違う立場や考えを持ちながらも、実践している姿に大きな勇気をもらいました。
今日のように、あらゆる角度から意見を交わし、参加者のみなさんがそれぞれの思いを寄せ合うことで、ようやく「平和」の一文字にたどり着けるのだと思います。森羅万象すべてが平和につながっている。だからこそ、私自身もますます行動していこう心を動かされました。お三方には心から感謝申し上げたい。本当にありがとうございました。
ご参加いただいた皆様、そしてこれから動画をご覧になる皆様にも、心から感謝申し上げます。みなさんはどう思われましたか。ぜひお考えをお寄せください。次につなげていきましょう。それでは、セッションは以上で終了とさせていただきます。皆さん、手を振ってお別れしましょう。どうもありがとうございました!

ここまで人間の心は強いものとは、深い感動で震えています。
昨晩の「世界平和というものを考える~戦場×市民×防衛の視点から」セッション公開録画にご参加いただきありがとうございました。
ナザレンコさんの、ウクライナ惨状下においても母国への被災者支援を冷静に続けながら、思い知らされた人間の脆さを補う平和堅持の仕組みを訴える強靭さ
今村さんの、焼け焦げた遺骨を見つけた時の重くやるせない想いに、起きてしまった戦争の巨大な負の遺産を実感しながら、同じ学生世代、さらには若い後進へ声を掛け続けるひたむなエネルギー
阿部さんの、リスクが拡大する防衛の最前線に立つことを厭わない役割を全うする中で、あえて目的を世界平和ではなくそれぞれの平和責任を果たすことからと取り組み続ける真摯さ
異なる人の異なる思いと実践の中に、非常に大切な人間の力を感じ取ることができます。
世界は大きく変わる、人が人とも思えないことさえ起きている中においても、私たちは決して負けない。世界平和というものはこうやって勇敢かつ朴訥につくられていくものではないか、と心が震えました。ぜひ一緒に震える心を合わせ、力にしていければと思ってやみません。
どうぞ皆様にもシェアしたく、当日のキーワード メッセージ レポートと圧縮したストリーミング配信を準備していきます。ご登壇および開催に関わってくださったみなさまに厚く御礼を申し上げます。
今、我々が話すべきこと、それは「世界平和」です。
世界中で勃発する紛争、分断の進展、止まない生命の危機と負の連鎖。私たちは一体どうしてしまったのでしょうか。どんな場においても、誰もが当然のこととして思いを深め、動いていかねばならないと強く思います。
”心を震わす ひとと世界の未来をつくろう” 感動セッションも、感動セッションならではのやり方で「世界平和」をテーマとしたセッションを行うこととしました。それぞれ異なった体験、実践、そして思いから見た「世界平和」を多角的に考えるものです。
「世界平和というものを考える ~戦場×防衛×市民の視点から」セッション
10月9日(木)18:30-20:30 <参加無料> TEAMS会議
ナザレンコ・アンドリーさん ウクライナ出身
今村 奎太さん JYMA 日本青年遺骨収集団 学生代表
阿部 智さん 元海上自衛官
ウクライナご出身のナザレンコさんは、母国の続く戦禍の中での実体験と衝撃、そこから滲み出された「世界平和」「戦争」の本質や意味を。今村さんは、ご親族の体験談をきっかけに、アジア各地での遺骨収集のボランティアを実践しながら考える若年世代の思いを。阿部さんは、長く自衛隊において防衛の任務に携わった中で見てきたもの、考えてきたことを、貴重なパブリックの場において。
どれもが専門的な講義ではなく、ご自身が実践と逡巡の歩みの中から考える世界平和の解釈、なぜそういう考えに至ったかの根幹について深く対話し、深堀する中で、我々なりの生きていく世界の本質をご参加のみなさんと一緒に実感を持って掴もうと思います。
<登壇者>
ナザレンコ・アンドリーさん
1995年、ウクライナ東部のハルキウ市生まれ。 ハリコフラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムと ネットワーク・メンテナンス学部」 で準学士学位取得。 2013年11月~14年2月、 首都キエフと出身地のハリコフ市で、 親欧米側学生集団による国民運動に参加。 2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。 同年8月留学のために来日。 前橋国際大学で経営学を学び、 2019年3月に卒業。現在、貿易会社で輸出業務に従事。会社で務めている傍ら、政治評論家や行政通訳人としても活動。 ウクライナ語、 ロシア語、英語と日本語にも堪能。
今村 奎太さん JYMA日本青年遺骨収集団 学生代表
2003年福岡県北九州市生まれ。早稲田大学社会科学部4年。インドで戦死した親族の存在を知ったことをきっかけに、戦没者慰霊と遺骨収集の問題に強い関心を抱く。2022年よりJYMA日本青年遺骨収集団に参加し、現在は約120名の学生・社会人が所属する本団体の代表を2期にわたり務める。厚生労働省の委託事業としてインド・サイパン地域での政府派遣に参加。沖縄では団独自による自主派遣を実施し、フィリピンでは慰霊活動を通じた国際親善に尽力。発信と働きかけが沖縄県議会での質疑につながるなど、世論喚起にも取り組む。政府・自治体と連携を深めつつ若い世代による慰霊継承のあり方を模索し、国内外での活動を展開。https://jyma.org/
阿部 智さん 元海上自衛官
阿部 智(あべさとし)と申します。1986年に防衛大学校を卒業し海上自衛官として35年勤務し2021年に退官,現在は株式会社IHIの顧問として勤務する傍ら海洋安全保障思想の研究・普及を目的とする団体で各種講演会の企画などボランティア活動をしています。
自衛官現役のときは主に後方(ロジスティクス)分野の仕事を担当し,日常的な日本周辺海域での警戒監視活動,中国潜水艦の領海侵犯に対する海上警備行動,ソマリア・アデン湾の海賊対処活動,各種国際緊急援助活動,新型コロナの災害派遣活動,日米共同演習など自衛隊の各種活動に従事してきました。「世界平和」というテーマについて自衛官経験者として忌憚なくお話しできればと思います。
進行 木村 克彦 感動プランニング代表
<感動セッション>
2019年に企業のボトムアップの取り組みとしてスタート。テクノロジー、エンタテインメント、ダイバーシティからサステナビリティまで、トップマネジメントから新入社員まで、自在に愉快に横断しながら、各社に展開。感動は私たちが生きる世界のどこにでもいつでもある。誰もが違って どれもが極限 。確かな実感に偽りはない。多様な実感を合わせた中にヒントがあるはず。累計開催は200回、参加20万人を超過。「心を震わす ひとと世界のよりよい未来をつくろう」どこまで続きます。 お問い合わせ先 感動プランニング https://www.kandoplanning.com/ kandoplanning@outlook.com https://www.facebook.com/kimura.katsuhiko.kando


























